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Archive for 2月, 2016

崩壊する地域社会

20 2月

自分勝手に生きられると思う人が増えていく社会
今、私はある会合のために昭和時代の写真を編集している。「パワーポイント」で会場に移すつもりで写真を選んでいる。

昭和時代の田植え風景

昭和時代の田植え風景

右の写真は、田植えの写真である。この写真からないが読み取れるだろうか。これは家族が田植えをしている写真ではない。

間違いなく、近所の女性が集まって田植えをしているところである。家族だけで田植えをしていたのでは、捗らない。そこで、近所の人がお互いに、助け合って田植えをしているのである。

「結(ゆい)」である。私の集落では「い」と呼んでいた。近所に人が一つの田んぼに集まって集中的に田植えを行うのである。こうすれば、作業も能率的に行うことができ、田植えをしながらでも世間話もでき、単調な作業もさほど苦にならない。

このような作業の方法「結」は、田植えばかりでなく、田の草取り、稲刈り、屋根の葺き替えなど様々なところに及んでいた。常に、隣近所が助け合って暮らしていたのである。不便なところもあるが、人の結びつきはしっかりしていたのである。誰かが病気にでもなれば、いつでも助け合えたのである。

そして、休憩時間には田んぼの持ち主が軽食を振る舞うのである。田んぼの畦に座り、語らいながら食べる「大きな黄な粉のおにぎり」「たくわん」「山菜の煮物」の味は格別である。まさに至福のひとときである。

茅葺き屋根の葺き替え作業

茅葺き屋根の葺き替え作業

今、農家からこのような作業方法はすっかりなくなってしまった。農作業が機械化されたり、瓦屋根が普及したからである。隣近所が助け合う場は、皆無に近い状況になってしまったのである。

そして、近所が交流する諸行事もほとんどなくなってしまったのである。世の中は面倒くさいことはすべて止める方向に動いている。

しかし、ひとたび災害でも起こったら、このような社会は非常にもろいのではなかろうか。災害が起こらなくても、人の交流の少なくなった社会は年をとるにつれて生きづらさを感ずるのではなかろうか。

「結」などの言葉の代わりに、「無縁社会」「格差社会」「などの言葉が生まれてきている。私たちは、今の世をどのように生きていけばよいのか、問われているように感ずる。(写真提供は朝日印刷株式会社)

 
 

10年前に考えたこと ③ 地位が人を育てる

18 2月

若者に活躍の場を  2006.1.5
自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。

教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。

また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。

PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。

もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。

こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。

しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、先生であるわけでもない。

しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。「○○退職校長会」などはその最たるものであろう。辞めてもなお“校長”の名を離せないらしい。地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。

全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“教師の職業病(No.13参照)”にはかかりたくないものである。

今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。

私たちは真剣にこのことを考えるときではないか。青少年に活躍の場を与えること……。次代を担うのは間違いなく彼ら若者なのだから。

 
 

鹿谷町雪祭り~雪像作りほか~

15 2月

忙しい一日

平成三猿(左側面・正面・右側面の各像)

平成三猿(左側面・正面・右側面の各像)

今日は鹿谷雪祭り。先ずは、9時までに雪像作り会場へ行かなければならない。そして、会場では、シートで覆われた雪像の目の調整。しかし、雪はもろく、下手に手を付けると崩れてしまう。せめてもと思って、目の周りだけ修正した。

雨はなかなか止まない。ある程度調整した後、体育館へ。そして、お囃子用の太鼓を体育館横へ運んだ。しばらくして、衣装を替え、体育館のステージ横へ。

午前11時過ぎに本番。「鹿谷すいせん会」の皆さんの銭太鼓の応援。私と仲間のYさんが太鼓と歌で応援。音楽に乗って思い切り、太鼓をたたいた。Yさんも乗っているようだった。

踊りを指導をしたボランティアグループ「ポッポの会」のみなさんの佐渡おけさ

踊りを指導をしたボランティアグループ「ポッポの会」のみなさんの佐渡おけさ

その後、体育館で北部中学校の生徒の発表や和太鼓の演技を見た。また、「佐渡おけさ」を指導したおばさん達の笠の被り方を直したりしてあげた。そして演技を見た。まあまあだった。

途中で、仲間から雪像作りの表彰があるので、会場にいるよう頼まれた。そして、いよいよ雪像の表彰式。十分なできではなかったが優勝だった。

表彰式では、吉本の漫才コンビニインタビューを受けた。「昔と逆で今は、よーく見なサル、よーく聞きなサル、そして、しっかり話しなサルが平成三猿です。」と説明すると、「ネタをとられたなあ」と冗談が入った。

仲間のTさんと二人で表彰状2枚、賞金五万円、トロフィー、ビール一ケースをいただいた。今日までの苦労が吹き飛んだ気持ちだ。いい雪祭りだった。午後6時から長兵衛で反省会。大いに盛り上がった。

 

あぁ、「雪像作り」

13 2月

ザラメ雪に悪戦苦闘
雪像作り初日は13日の土曜日。朝8時半に雪像作りの会場へ行ってあっと驚く。与えられた形が円柱だったからだ。しまったと思ったが、どうしようもない。我がチーム「エコ協愉快な仲間達」の誰もまだが来ていなかったので、場所を決めるくじを引いた。

最初、私が予測していたのは直径2.5m高さ2.5mの円柱だと思って設計図を描いた。そして、チームの打ち合わせに設計図を持って行くと、「1辺2.5mの立方体だ」と皆が言う。

底面が円であるのと正方形ではかなり様子が違う。慌てて図を描き直した。私が考えたのは「平成三猿」だ。「よーく見なサル、よーく聞きなサル、そして、しっかり話しなサル」の三つの像を造るつもりだったので、3匹の納め方が大きく変わってしまうからだ。

てっきり立方体だと思って会場に行ってみると、円柱だったので、考えてきた図面はあまり役に立たない。図面が当てにならないので、勘で雪にスプレーで線を描き、チェンソーで切り出してもらった。

そして、メンバーが手分けして一斉に削りながら3匹のサルの形を作っていった。ザラメ雪なので本当に苦労した。小雨の中の作業。途中からシートをかけての作業。朝8時半過ぎから午後4時頃まで作業をした。ある程度のところで妥協して帰宅した。結果はどうなるだろうか?

 

頼まれたら快く……

11 2月

雪祭りの雪像作り
私は、他人にものを頼まれたら、大概のことは引き受けることにしている。他人の役に立つのならと思うのだが、そのために多くの時間をとられたり、後から苦労することも少なくない。

ここ数日苦労していることは、鹿谷の雪祭りの雪像作りだ。知人から雪像のアイディアを頼まれて快く引き受けたのだが、何を作るかを考えるだけで苦労する。

一辺が2.5mの立方体(雪の塊)が各グループに与えられるという。これを雪祭りの前日である土曜日の午前8時から午後5時までかけて作り上げるのというのだ。

テーマは「可愛い動物」だという。だからといって、例えば「可愛い子猫」を作ってみてもどうしようもないだろう。どうせやるならメッセージ性のある動物像を作りたいと思う。

暖冬である今年の雪の状態だと、削りすぎて、後からくっつけようとしても今の温度では簡単ではないだろう。先日のミーティングで私が提案したのは3体の動物を作るアイディアだ。そう思うとさらに悩んでしまう。

先ずは、正面、側面図、平面図を描き、次に、雪の塊のどこからどのようにして作業を始めるかを考えた。雪の塊をチェンソーで削りなが形を作っていくからだ。

各種の図面を描き、寸法を入れた作業手順も図で描いたりした。段取りにかなりの時間がかかった。前日も当日も高温で雨だという予報が出ている。どうなることやら心配である。