関わりの多かった大師山
私の「ふるさと」の定義は次の2点だ。
1.地域に自宅以外に関わった場所がある。
2.地域に家族以外に関わった人がいる。
我が村の背後にある山は、正に関わりの多かった山だ。先ずは、子供時代に薪を取った山であり、担いで降りた山である。夏休みには毎日一回は、大師山の裏側から薪を担いで降りたものだ。
また、中学校時代には、小鳥を捕まえ二通った山でもある。当時は、誰もが小鳥を飼っていた。ヒワ、ウソ、ヤマガラ、メジロなどであった。よく通ったものだ。そして、鳥かごを自分で作り、鳥を飼ったのだ。
さらに、中学校時代には子供だけでキャンプをしたものだ。山で、木などを切り、萱で屋根を葺いて、そこに一泊したのだ。食料と言えば、米とジャガイモとナスだけだったように思う。後は、調味料だけだった。それでも、食事は楽しく美味しかった。
大師山へは山菜採りや栗拾いにも通った。火を焚くために枯れた杉葉を拾いにも行った。遊びの舞台でもあったし、仕事の山でもあったのだ。冬は、麓でスキーもした。
今の子供は、このどれもしていないだろう。大師山への関わりは皆無ではなかろうか。自宅と学校や習い事の往復では、地域は故郷にはなり得ないであろう。
6月9日の日曜日には、大師山の山検分があり、役員が山道作りの下見をするのだが、その際、登山道を測量するのだ。大師山登山道に何合目と表す石の標柱を設置するための下調査だ。
関わりのない今の子どもたちに山へ登ってもらうための目印にしてもらうためだ。村の後ろにある大師山は私のふるさとでもある。このような調子で、大小の川もある。そして人もいる。今と昔の一番の違いかもしれない。
(日記 午前中、区の事務仕事。午後は少し紙芝居の絵描き。午後4時より『親子太鼓教室』。クーラーをつけて練習したが、私も親子も汗をかくほどいい運動になった。午後5時半過ぎから『爺ちゃん勉強』。午後7時半から、村の『6月定例役員会』。明日の運動会や、大師山の山検分について話し合った。充実した一日だった。)