私たちの子供の頃は、パソコンどころか計算機すら軽便なものはなかった。大学時代でさえも、建築家などは計算尺が主流であったように思う。計算機も、歯車の付いた手回し式で機械という感じだった。
社会へ出ても同様であった。得点順に順位をつけようとすると、表を作って一つずつ番号をつけなければならなかった。そのうちに、NECのコンピューターを目にすることができるようになった。
そして、日進月歩で大きさや性能がよくなり現在に至っている。しかし、今の子どもたちは、生まれながらにして身の回りにパソコンやスマートフォンがある生活をしている。
会社や役所では、だいたい上司がいろんな経験や知識を持っていて部下を指導するのだが、パソコンに関しては“世代が逆転”していて、若い者の方が知識を持っているのだ。上司の方が部下に習わなければならない状況が続いている。
私は、辛うじてパソコンを使っている最後の世代かもしれない。しかし、自分の愛用するソフトが毎年のようにバージョンアップし、ついて行けない。そのため性能の何分の一も使えていない。
スマートフォンも、メールと電話がやっとという状況だ。おそらく、これからもいろんなソフトが現れ、どんどん性能がよくなってくだろう。バージョンアップのスピードについて行けなくなるのは間違いがない。
しかし、悲観はしていない。それは。創作童話に合わせて絵を描いたり、曲を作り、それらを編曲したり、歌を入れてCDにするようなことはパソコンのおかげで辛うじてできるので、自分のレベルでパソコンを楽しむことができると思っている。
パソコン世代の最後尾をもたもたしながら進んでいく自分である。今後、この方面ではどのような変化が起こるのだろうか。少しでも多く見てみたい気もする。しかし、変化の多くがアメリカ発であるのが少しさみしい気もするが。
(日記 午前中は、地区の総会で話題提供する問題についていろいろ調べたり資料を作ったりした。今日は晴れているが冬並みの寒さだ。風が冷たいので外へ出るには手袋と耳当ては不可欠だった。午後2時半頃、平泉寺の菩提林の入り口に車を止めてウオーキング。坂道が多いが、足の筋肉を鍛えるにはよいコースだった。帰りは、農道を通って戻ってきた。途中の土手には“フキノトウ”がたくさんあった。山際の田んぼには猪などの獣害を防ぐために金網が張られていた。昔は、なかったことなので農家の人も大変だ。夕食には、フキノトウの酢味噌和えと天ぷらが食卓に上った。まさしく春の味であった。)