“あいさつ大賞”を与えたい
昨日のこと。私と家内の二人が、ニンニクの植えてある畑の中で草をとっているときのことだった。「こんにちは」とはっきりした女の子の声が聞こえてきた。驚いて二人が立ち上がり、道路の方を見ると、かわいい女の子がいた。
同じ村の小学二年生のNちゃんだった。思えば、昨年の春頃は、こちらがあいさつしても、小さくうなずくだけで自分からはあいさつできない子だった。毎日、集団登校の子どもたちが集まるところでプランターに水をやっていたので、よく会ったのだ。
そのうちに、彼女の方から、元気にあいさつしてくるようになった。私が毎月発行している瓦版の「間違い探し(小学生のための企画)」の答えを持って我が家へ訪れるようになった。元気にあいさつしてやってくるのだ。
あいさつができるようになると、次の一言が出てくるのだ。畑の中から、家内が「どこへ行ってきたの?」と問いかけると「はっきりした声で「○○公園へ行ってきました。」とはっきり答えてくれた。
私も、「Nちゃん、歌が好きなの?」と聞くと、「普通です。」との返事が返ってきた。あいさつができると、次に何か話すことができる。この調子で大きくなっても、あいさつや立ち話ができる関係が続くことを願う。
今年も、子供会育成会の皆さんに「片瀬の子をあいさつのできる子どもにしましょう」と呼びかけるつもりだ。私は、“あいさつは 心と心の 握手です”と思っている。
今日の午後、外で庭木の剪定をしていると、表通りを自分から元気にあいさつできる近所の小学一年生のKチャンが縄跳びを持って歩いてきた。家内が、「縄飛び、何回できるの?」と聞くと、かなり大きな声で回数を教えてくれた。
Kチャンは縄跳びを始め、家内が数を数え始めた。「1,2,3,4,5,……100,101,102……」。和やかの風景だ。私の方も、作業の手を止めて「何か歌って」というと、始めは恥ずかしいと言っていたが、そのうち家内と一緒に歌い始めた。
そして、「何か手伝いさせて」という。なぜ、このように会話が進むのか。その答えは簡単だ。あいさつを交わせる間柄になっているからだ。多くの子どもたちが義務的ではなく、自分から進んであいさつできるようになったらしめたものだ。
二人には、私個人から“あいさつ大賞”を与えたいと最近真剣に考えている。他のこのことを考えると、簡単ではないが、なんとか、彼女たちの好意を褒めたいと思う。少なくとも、二人の担任の先生にはお伝えしたいと思う。
あいさつは人間関係を築く第一歩だと思っている。我が村の小学生は、「自分からあいさつができる子」、「こちらがあいさつするとあいさつできる子」、「こちらがあいさつしてもあいさつできない子」がそれぞれ三分の一ずついるのだ。
気持ちよくあいさつできる子になってほしいと思う。そのためにも、こちらから気持ちよくあいさつしたいものだ。あいさつは、私たち大人の背中で指導できればと思っている。
(日記 午前中は、公民館で総会資料の印刷。午後は、庭木の剪定作業。区民がゴミ集積所へ出して回収されなかったゴミをトラックに積んでゴミ処分場へ持って行った。なかなかゴミの出し方が理解してもらえない。午後は、明日の親子太鼓の練習用CD作り。思ったよりも沢山の時間がかかった。)