あれから45年
私の第二の赴任地は、平泉寺小中学校だった。当時私は、24歳。今年還暦を迎えるのは当時の中学校3年生で15歳だった。担任したクラスではなかったが、恩師が高齢化しているとのことで私が招かれた。
年の違いは9歳だったが、そんなに年が離れているとは思わなかった。勉強だけではなく、彼らといろんなことをした思い出があった。学校の授業の他に、部活動、音楽会、白山登山、宿直室での語らい、家庭訪問、詩づくり、……、今なら考えられないような思い出がいっぱいあった。
卒業生の中には当時の卒業文集を持ってきた者もあった。その中には、私が彼らに贈った文章もあった。文章に添えて自作の歌が楽譜入りで書いてあった。『明日になれば』という歌だった。
明日になれば
1.心に風の 吹く日あれば
涙の雨の 降る日もあるさ
今日が どんなに つらくっても
今日が どんなに 悲しくっても
明日になれば 明日になれば
涙の今日は 昨日になるんだよ
2.親しい友との 別れもあれば
愛した人との 別れもあるさ
今日がどんなに 泣きたくても
今日がどんなに 苦しくっても
明日になれば 明日になれば
せつない今日は 昨日になるんだよ
今回の還暦同窓会で校歌と共にこの歌を歌いたいという。幹事のO君から頼まれていたので、校歌とこの歌のカラオケを作ってあげた。
最初の挨拶の後、この歌を歌うことになった。45年前の若かりし頃が思い出された。この頃の私は、学校生活が楽しくて学校へは遊びに行くように嬉しかった。
授業と部活動と音楽(バンド)活動が全てのような生活であった。あれから45年が経ち、9歳の年の差はそんなに感じられないようになった。参加者の近況を聞くと、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいたことがよく分かった。
必ずしも順風満帆ではなかったかもしれないが、それぞれがそれぞれの人生を精一杯生きていたようである。そして、さらに仕事を続けようとする者、新たな人生を踏み出そうとする者、いろいろだ。
私も彼らを見ていると、自分の人生を自分なりに充実させてこれからを生きていきたいものだと改めて感じた。同窓会の途中に、私の太鼓グループも祝太鼓を披露した。
(日記 午前0時半頃家内が突然苦しみ出した。下腹部に激痛が走り、我慢の限界を超えていた。そこで、医科大へ行くことにした。到着後もかなり待ってようやく診察をしてもらえた。全てを終わったのは午前4時過ぎだった。その後帰宅して少し寝た。遅めに起きて、先ず太鼓のための篠笛の練習をして、ホテルへ太鼓を運んだ。正午から始まる昭和42年度平泉寺中学校卒業の皆さんの同窓会に担任ではなかったが招かれた。ここで、私の太鼓グループも祝太鼓を披露した。その後、私のスタジオで今年初めての「おやじバンドの練習があった。今日集まったのは5人だ。今年も頭の体操としておやじバンドにも取り組みたいと思う。充実した一日だった。)