体力増強から体力維持へ
退職してから2年が過ぎた。まだ、生活のリズムは確立していないが、退職直後よりは、ある程度の規則性ができたと思っている。いつでもできると思うと、簡単にはできないことも分かった。
時間がないときには必死でやったが、時間があると朝の始動から少しずつ遅れ気味になる。そんなとき、急にリズムが変わると、前の日から落ち着かない。今日は、久々の交通安全の街頭指導の日だ。
午前7時にはニューホテル横の交差点に行かなければならない。いつもより、1時間ほど始動が早い。それでも時間前には、行くことができた。
話は変わって、人生には適度な負荷がかからないと、鍛えられないと思う。ボディービル等で身体を鍛えるのも、身体に、普段以上の負荷をかけるために、身体の方がそれに対応して筋肉を増強するのだろう。
マラソンの耕地トレーニングもよく似た理屈だろう。高地では心臓や肺にかなりの負荷がかかるだろう。しかし、そのことによってアスリート達は心肺機能を高めるのだ。負荷に耐えるように身体が、対応するのだ。
ある程度の精神的な負荷は、精神力を鍛えるためにも役立つと思う。某会社の若社長のように、特別な苦労もなく金が手に入ると、苦労をする必要がない。歯を食いしばって頑張ることもなく育つと精神力も、忍耐力も、社会的な常識喪身につかない。
ちやほやされて、一晩に何億者金を使い、それでも足りなければ関連会社から莫大な金を借りて、最後には行き詰まってしまたtのだ。人生には苦労という負荷をかけなければならないが、今時の親は、子どもからその苦労を除こう、除こうとしているように見える。
別な言い方をすれば、苦労するチャンス、負荷をかけるチャンスを奪っているのだ。子どもの登下校に親が来るまで送迎するのも同じようなものだろう。逆に言えば、大人になった大事な局面で苦労を背負うことになる。
さて、私の方だが、退職してから、自ら身体を鍛えたり、やった方がよいことから、逃れていたところがある。年よりはどんどん筋力が衰えるのだ。ここ2年は、農作業でしか筋力を鍛えていない。農閑期は全く筋力が鍛えられないことになる。せいぜいが雪下ろし程度だ。
最近自分を甘やかせている。これでは、先々苦労することになる。そんなことを考えながら、プールの中を歩いていた。適度な負荷は心身を鍛えるのに大いに役立つと思う。鍛えるのは無理でも、体力維持には努めたい。明日から、また出直しだ。
(日記 午前7時よりニューホテルの交差点で交通安全の街頭指導。中学生は、かなり挨拶をしてくれた。小学生はまだまだだ。帰りに、Wさんの家へ寄り、和太鼓のDVDを借りた。和太鼓をしているお子さんが小学校の入学式だ。写真を撮ってあげた。帰宅してそのDVDの編集に取りかかった。なかなか難しい。ハイビジョンで撮影したビデオの編集作業をなんとかマスターしたいと思う。午後、突風でめくれたイチゴのマルチを直し、その後、久々に市営プールへ出かけ、歩いたり泳いだりした。帰宅後も、ビデオ編集作業。少し明かりが見えてきた。)