孫達との別れ
今日は勝山へ帰る日。例によって昨日も、孫達と風呂に入り、体や頭も洗ってやった。孫達は、「じいちゃんとばあちゃんが勝山へ帰る日」だと朝からわかっているようだ。長女は、「今は一緒にいるから握手ができるね」と、家内と抱き合って喜んでいる。パソコンでの対話では、顔も見られるし、話もできるが、握手はできないからだ。
そして、孫達と別れた。孫達が、我々夫婦と息子夫婦の鎹(かすがい:二本の材木をつなぎとめるための両端の曲がった大釘。 転じて二つのものをつなぎとめる役をするもの。)になっている。
両親にとっては、“子は鎹”と言われるが、私たち祖父母にとって“孫は鎹”になっている。孫達が我々になついてくれるので、私たちは息子の家へ行きたくなる。今回の東京行きでも、観光よりも孫達に会うことの方がはるかに楽しかった。
その後、我々は、午後1時頃の新幹線に乗って、米原へ向かった。そして、白鷺に乗り換え、午後4時頃福井へ着いた。そして、えち鉄で勝山へ着いたのは、5時半頃だった。新横浜からは、自宅まで約4時間半ほどかかった。
I podで津軽演歌に集中
新横浜から、福井までの3時間あまり、I podでずっと一つの演歌を聴き続けていた。それは、島津亜矢さんの『流れて津軽』であった。私は、今、津軽演歌を作りたいと考えている。そのために、津軽三味線も習っている。
一曲を聴き続けた理由は、編曲を勉強するためである。プロは、どこでどんな楽器を使うのかを学ぶためである。尺八をどう使うのか。三味線をどう使うのか。オーケストラをどう使うのかなどを勉強になることが多い。
寝ていても、目が覚めると、頭の中を詞がよぎり、メロディーが浮かぶ。しかし、まだ形にはならない。
♪ 肌を刺す風 地を這う吹雪 ……♪
いつになったら形になるだろうか。今年中には、形にしたいものである。